皆さんいかがお過ごしですか。今回は、地団研千葉支部との共催による「房州石」の学習会です。近世から近代にいたるまで、鋸山周辺(富津市・鋸南町)から盛んに切り出され、流通した「房州石」。石切り場跡などを中心に地元の方のご案内でめぐる予定です。この機会にぜひご参加ください。
【行きの電車の例】
①JR千葉駅3番線7:45発(館山行浜金谷駅9:09着
)
②JR千葉駅 8:40発 新宿さざなみ1号浜金谷駅9:40着
※本数が少なく、上記の電車を逃すと間に合わなくなるので、ご注意下さい。
※山中の歩きが多い巡検です。晴天だと暑く、曇天だと寒いと感じるかもしれません。当日の服装にはご注意ください。防寒に配慮したうえで、体温調節のしやすい服装ウィンドブレーカー、アウトドアジャケット等)がよいと思います。
※解散は16頃を予定しています。少雨決行です。
※ロープウェーに片道乗車する予定です。また、お寺の拝観料等がかかる場合があります。
一人1,500円くらい余分にご用意願います。
参加報告
朝9:50参加者14人が浜金谷の駅前に集合しました。天気も良く駅からは鋸山が良く見えます。今回のガイドを務めてくれたのは、お父さんが鋸山で昭和60年まで石を切り出していた最後の石屋さんだった鈴木さんでした。鈴木さんは鋸山の歴史を小さい頃の自分の記憶などを織り交ぜながら楽しくためになる話をたくさんしてくれました。
浜金谷の駅を後にさっそく鋸山のふもとまで歩きながら街中で塀として使われている房州石を観察しました。歩いていくと登山道の分岐点にでました。右は関東ふれあいの道コースで左は車力道コースとなっていて今回は車力道を通ります。この道は昔切り出した石をつんだ台車がとおったところだそうです。それは女性の仕事だったとのこと。この狭い石の道を一人の女性が1個80Kgの石を3つ台車に積んで車の後ろを引きずりながら山を下りていく姿を想像してみます。事故も起こりそうです。男性は石を切り出し、女性がそれを下まで運ぶ。それでも生活は楽ではなかった、ということに思いを馳せます。
石切り場はいくつかあってあちこち掘られていました。石の壁には各会社のマークが彫ってありました。房州石は凝灰岩の一種で赤い斑点がはいっているものが質のいいものだそうです。江戸時代に採石が始まり明治時代の横浜の港、お台場などの砲台などに使われました。
お昼は鈴木さんのお父さんたちが切り出していた石切り場あとで食べました。使われていた機械などが、錆びついて当時のまま置かれていています。
石切り場の断面に「安全第一」の漢字が彫ってあったのですが、彫り残しがありました。それは足元から下に掘っていく時、暇なときに彫刻していたので、気が付いたら地面が低くなっていて、届かなくなってしまったからだそうです。
それからいろいろ見学しながら登っていき、日本寺の北口から入ってロープウェー山頂駅で石切りの展示物を見学してその後に今度はロープウェーでふもとまで楽々下りました。駅に戻る途中のお肉屋さんでコロッケを買って石切りを思いながら食べました。これも学習会の楽しみの一つでしょうか。そして浜金谷の駅、振出しに戻って山を眺めると鋸山は今までとは違った山に見えました。(KT)
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